人間の容量とエネルギーのオハナシ コスモさんver.

年始に、さんちゃんと深~い話をして盛り上がりまして。

 

その内容が早速さんちゃんのブログで書かれていたので、

よろしければそちらをまず読んでみてください。

(その記事はこちら。)

 

 

で、せっかくなら「コスモさんバージョン」も書いてみようかなとw

 

 

 

その話が出たのは、とある小学生の話を聞いたのがきっかけでした。

 

 

その子は、今年で6年生になるんですが、

いまだに九九がちゃんとできなかったり、

書けないカタカナがあったりするとのこと。

 

 

そういうのって、2年生で全て習い終わるようなことなのに、

この年になってできてないっていうのはどうなの?

もっとしっかり勉強しないとヤバイんじゃないの?

 

・・っていう話を聞いたんです。

 

 

 

それを聞いた時に僕は、

 

「その子はすごい可能性を秘めてそう!」

 

って思ったんです。

 

 

 

ぶっちゃけ、小6になろうとしてる子が、

九九がちゃんとできないとか、書けないカタカナがあるとかって、

ちょっと「勉強が苦手」っていう範疇を超えてる気がするんです。

 

 

もしかしたら、何かしらの発達障害の可能性も考えられるかもしれません。

 

 

 

でも、それってある意味「突出」してることですよね。

 

 

一般的に見れば、それは「悪い方に」思われがちなことかもしれませんが、

僕は突出してること自体が素敵なことだと思ってるんです。

 

 

 

なんにせよ、突出してるってことは、普通じゃないってこと。

 

「凡人とは違う」という意味で言ったら、

「非凡」とも言えますよね。

 

「非凡」っていう言葉は、

「普通より優れている」っていう意味があるんですよ。

 

 

 

長所と短所は表裏一体とよく言います。

 

例えば「優柔不断」という短所は、

見方を変えれば「慎重」「真面目」「物事をよく見ている」という長所とも言えるわけです。

 

 

 

それと同じで、何かに対して不得意だったり不出来だったりするってことは、

それに反して得意だったり出来ちゃうことがあるってことだと思うんです。

 

 

しかもそれが、突出して不得意だったり不出来だったりするなら、

得意だったり出来ちゃうことも突出するってこと。

 

 

 

九九やカタカナが苦手っていうのが、

何に対して反作用になるのかは分かりません。

 

 

でも、それはまだ見えてないか、

経験してないか、まだ芽が出てないだけ。

 

それだけ突出したものがあるってことは、

一般的に見て「良い方」にも突出したものが必ずあるはず!

 

 

それは単なる理想論かもしれないし、夢物語かもしれないけど、

僕はそう考えてるんです。

 

 

 

人間が持ってる能力のストックって、

大体みんな同じくらいあるんじゃないかなと思ってるんです。

 

 

能力をストックしておく貯蔵庫があって、

その中に大体同じくらいの容量の「能力」が

みんなそれぞれあるんじゃないかなと。

 

 

で、それが色んな分野で発揮されるようなジェネラリストタイプもいれば、

特定の分野で発揮されるようなスペシャリストタイプもいると。

 

 

どういう分野やカテゴリーでそれが発揮されるかは、

人それぞれみんな違うと思うんです。

 

 

 

いわゆる、各分野ですごい活躍をしちゃうような偉人たちっていうのは、

自分の「能力」が発揮されるにふさわしい部分に、

その容量をガッツリ使えてる人なんじゃないかなと。

 

 

要は、

 

それをうまいこと見つけられた人

そこにちゃんと注ぎ込めた人

 

ってことなんだと思うんです。

 

 

 

注ぎ込むためには、自分にとって注ぎ込めるだけの熱量があって、

時間やエネルギーをそこにかけられること。

 

かけたいと思えること。

 

 

で、それを見つけるためには経験してみるしかない。

経験するには、動いてみるしかない。

 

 

そうすると、ストックされてる「能力」が、

しかるべきところに発揮されるんだと思うんです。

 

 

 

逆に言えば、その貯蔵庫に「能力ストック」が貯蔵されたままで、

発揮できていない人が実は多いんじゃないかと思うんです。

 

 

じゃあなんで、本来なら一人一人にちゃんとあるはずの能力ストックが、

その人にとっての「しかるべきところ」に発揮されないのか。

 

 

それは、

 

「それ以外のところで時間とエネルギーを使ってるから」

 

だと思うんです。

 

 

 

例えば、その小学生の場合、

 

学校の勉強のことや、今後の進路や受験のこと、

将来のことなどを考えると、

このまま九九やカタカナが苦手なままではいけない…

 

と考えるのが普通だと思うんです。

 

 

だから、苦手を克服するために、

時間もエネルギーもそこに注力して勉強しなきゃいけない…

 

ってことになると思うんです。

 

 

 

ここで、あることに気付きませんか?

 

 

 

先ほども書きましたが、能力が発揮されるには、

その人にとって「ふさわしいところ」を見つけて、

そこに時間もエネルギーもかけられることが大事なわけです。

 

 

苦手なことに時間とエネルギーを使っちゃってたら、

まだ見ぬ「ふさわしいところ」を見つける時間ありますかね?

そこに注ぎ込むエネルギー残ってますかね?

 

 

 

僕は親ではないし、

勝手なことを言える立場ではないんですけど、

 

せっかくなら自分の能力が活きること(=自分が生き生きすること)を

見つけるために時間とエネルギーを使って欲しいなと思っちゃうんですよねー。

 

 

勉強も大事かもしれないけど、

不得意なことにあまり目を向けすぎるのも…っていう。

 

 

 

不得意なことって、時間とエネルギーをやたら浪費する割に、

大きな成果にはならないんですよね。

 

 

だって、不得意だから。

 

 

 

逆に言うと、不得意なことである程度の成果を出そうと思うと、

相当な時間とエネルギーが必要になるってことです。

 

 

それでいて「ある程度の成果」でしかないっていう。。

 

ってことは、そこに「能力」なんて大して活きてないわけですよね。

 

 

だから、能力ストックの多くは貯蔵されたままになっちゃうんです。

 

 

 

「不得意でもしなきゃいけない」

「苦手を克服しなきゃいけない」

「嫌でも頑張らなきゃいけない」

 

っていう風潮が世の中にはありますが、

 

何かしらに秀でている人や、能力を発揮できている人が、

それをやっているようには僕は思えないんですよね。

 

 

 

「出来る人ほど外注をうまく使う」

 

と聞いたことがあります。

 

 

自分の不得意なことに自分の時間とエネルギーをかけるより、

得意な人に頼んでやってもらった方が、

自分の能力を活かせるところにより多くの時間とエネルギーを使える。

 

ということです。

 

 

 

僕はありがたいことに、

自分が得意なこと、好きなことでお仕事をさせていただいています。

 

 

まぁ、そこにたどり着くまではあーでもないこーでもない色々やってましたが、

そのあーでもないこーでもないは、

今思えば「嫌でも頑張らなきゃ」を捨てていく作業でした。

 

 

そのおかげで今は、

自分の能力を活かした仕事ができていると感じています。

 

 

 

それでも、

まだまだ僕の能力ストックはいっぱい残ってると思ってます。

 

 

それが何なのか、どんな分野なのか、

いつどういう形で表に出てくるのか、

それは全然分かりません。

 

 

分からないからこそ、たくさん動いてみて、

色んな経験をしたいなと思ってます。

 

 

 

別に、偉業を成し遂げたいみたいな大それたことを考えているわけではないですが、

せっかくまだまだ持っているであろう自分の能力を、

ガッツリ表に出して活かしていきたいんですよね。

 

 

 

まぁ、そのためには、

無駄なことに時間とエネルギーを使ってる場合じゃないってことです。

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